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岐阜家庭裁判所 昭和55年(家)36号 審判 1980年2月14日

申立人 下田和夫 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

一  本件申立の趣旨は、「遺言者亡下田節子の遺言執行者の選任を求める。」というものであり、その申立の事情は、

(一)  遺言者は昭和五四年一〇月二七日岐阜県関市で死亡した。

(二)  申立人両名は遺言者から同人所有財産一切の遺贈を受けた。

(三)  昭和五五年一月一四日当庁において遺言書の検認を受けたが、この遺言には遺言執行者の指定がないので本申立に及ぶ。

というのである。

二  そこで検討するに、本件記録及び昭和五四年(家)第一一七九号遺言書の検認申立事件の記録によると、上記一(一)ないし(三)の事実が認められるが、その遺言書なるものは、一葉の白色洋紙に、全財産を申立人両名に贈与する趣旨を記載したうえ、同一紙上に署名、押印し(したがつて遺言書自体には日付の記載はない。)、これを茶色規格封筒に入れ、その封筒裏面に「昭和五十年四月二三日」と記載し、同表面に「下田よし子様」と記載したもの(したがつて、全く封印されていない。)である。これは自筆証書遺言の方式によるものと思われる。自筆証書遺言は、「遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印をおさなければならない。」(民法九六八条一項)とされているが、この日付の自書なるものは、数個の遺言の優劣の判定や遺言者の遺言能力の判定のために必要な遺言成立時期の確定に資するものであるから、日付の偽造、すりかえなどの防止の点を考慮すると、日付の記載は遺言本文と一体をなすことが客観的に明らかな状態のものであることが必要と考えられるから、本来は遺言書本体に遺言全文や自書、押印と共に存すべきものと解される。もつとも、遺言の全文、自書、押印の存する書面に日付の記載がなく、それを納めた封筒に日付の記載がある場合であつても、その封筒が押印に用いられた印章をもつて封印されている場合(福岡高等裁判所昭和二七年二月二七日判決、高民集二巻五号七〇頁参照)のように遺言本文と日付とが一体をなすことを客観的に担保すべきものが存するときは、日付の自書があるものと解することができよう。しかしながら、本件のように日付のない遺言書が開封のまま日付のある封筒に納められただけでは遺言書の出し入れ、封筒の差換えなどが随意となり、したがつて日付の変更も自由となるので、民法九六八条二項も無に帰し、かかる状態の日付の自書をもつて遺言成立時期を確定するのは危険なものと思われ、日付の自書を要求する民法九六八条一項の趣旨にも反するものと解される。

そうすると封印されない封筒裏面にのみ日付の記載があり、遺言の全文、署名、押印のある遺言書本体に日付の記載のない本件遺言は日付の自書を欠くものとして無効なものと解されるから、遺言執行者により執行すべき遺言は存在せず本件申立は目的を欠く。

三  よつて本件申立を却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 笹本忠男)

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